韓国政府による反日活動の未来―「記憶外交」としての日本イメージをめぐる攻防
韓国政府による反日活動の未来―「記憶外交」としての日本イメージをめぐる攻防

1.歴史問題が外交課題となる構造

日本と韓国は、地理的にも経済的にも緊密な関係を維持してきた。自動車・半導体・観光・文化交流など、多様な分野で相互依存は進み、両国間の貿易額もアジア域内では上位に位置する。しかし、この現実的な協力関係の裏側で、長年にわたって外交摩擦を生じさせてきたのが「慰安婦問題」である。

慰安婦問題は、単なる戦時中の歴史認識にとどまらず、戦後秩序のなかでの「記憶の政治」「外交的正当性」「国際イメージ戦略」へと拡大した。特に2010年代以降、韓国が国内外で展開した象徴的活動は、日本の国際的評価や外交政策に大きな影響を与えた。本稿では、こうした韓国の政策的・外交的行動を中心に、日韓両国の対応を史実に基づいて再構成する。


2.問題の発端:1990年代初頭の歴史認識の噴出

1991年、元慰安婦とされる女性が日本政府を相手取って提訴したことをきっかけに、韓国国内で慰安婦問題が急速に注目を集めた。これを受けて日本政府は、1993年に「河野洋平官房長官談話」を発表し、慰安所設置への軍の関与を認めるとともに「お詫びと反省」の意を表明した。

翌1995年、日本政府は「アジア女性基金」を設立し、民間募金を原資に元慰安婦への償い金を支給する取り組みを始めた。元慰安婦には首相名義の謝罪文も手渡されたが、韓国政府および支援団体は「国家責任の回避」と批判し、受け取りを拒否する元慰安婦が多数を占めた。以後、日本は「1965年の日韓請求権協定により法的には解決済み」との立場を堅持し、韓国は「道義的・人道的な解決が不十分」と主張する二重構造が生まれた。

この時点で、両国の認識はすでに「法と倫理」「過去の清算と記憶の継承」という異なる次元で乖離していた。


3.ソウル日本大使館前の少女像と外交的摩擦

2011年12月、ソウルの日本大使館前に「平和の少女像」と呼ばれる銅像が設置された。設置したのは韓国の民間団体「挺身隊問題対策協議会」(現・正義記憶連帯)であり、この像は日本軍の慰安婦被害者を象徴するものとして設計された。以後、同地では「水曜デモ」と呼ばれる定例抗議集会が継続されている。

日本政府は直ちに韓国政府に抗議し、ウィーン条約第22条が定める「外交公館の威厳と安全の保持義務」に違反すると主張した。しかし、韓国政府は「民間の表現活動に国家が介入することはできない」として実質的に静観した。このため、日本政府は予定していた大使館の新築計画を中止し、在韓日本大使館の活動を最小限に抑制する措置を取った。

この出来事は、慰安婦問題が単なる歴史論争を超え、外交実務に直接的影響を及ぼす段階に入ったことを意味した。


4.2015年「最終的かつ不可逆的」な日韓合意とその崩壊

2015年12月、日韓両政府は外相会談において、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認する合意に達した。日本政府は10億円を拠出し、韓国政府はこれを基に「和解・癒やし財団」を設立。両国政府は共同声明で、少女像問題に関して「韓国政府が適切に対応する」と明記した。

しかし、2017年に文在寅政権が発足すると、同政権は前政権下の合意を「被害者中心主義に反する政治的合意」として再検討。最終的に2019年、財団は解散に追い込まれた。日本政府はこれを「国家間の約束を破棄する行為」として強く抗議し、外務省は「合意の履行が信頼関係の前提である」と声明を出した。

この経緯は、日韓間の法的合意の効力と履行義務をめぐる象徴的事件となり、以後、両国関係は政治・経済両面で冷却期に入った。


5.国際展開:慰安婦像の海外設置と国際世論形成

韓国の市民団体は国内運動にとどまらず、慰安婦像を世界各国に設置する活動を展開した。最初の例として知られるのは、2013年に米国カリフォルニア州グレンデール市に設置された像である。日本系住民団体は「外交問題を地方自治体が扱うべきではない」として撤去を求めて訴訟を起こしたが、連邦裁判所は「表現の自由」を理由に棄却した。

以後、慰安婦像はカナダ、ドイツ、オーストラリアなどにも設置され、国際的な議論を呼んだ。日本政府は各国政府に対し「1965年の条約と2015年の合意により、問題は最終的に解決済み」との立場を説明し、外交ルートを通じて懸念を伝達した。
このような像設置運動は、韓国側では「歴史正義を国際社会に訴える外交的活動」と位置づけられたが、日本側では「国際世論における日本の名誉を損なう行為」と受け止められた。

結果として、慰安婦問題は両国の内政課題を超え、「国際社会における日本像をめぐる記憶外交」として定着した。


6.経済・社会への影響:不買運動と相互不信

2018年以降、韓国国内では慰安婦問題と徴用工判決を契機に、日本製品の不買運動が拡大した。2019年7月、日本政府が半導体材料の輸出管理を強化すると、「NO JAPAN」運動が全国的なキャンペーンとして展開され、日本旅行のボイコットや日本企業の広告排除などが相次いだ。

観光業では韓国人訪日客数が前年比約60%減少し、特に地方都市への打撃が大きかった。経済界でも相互不信が広がり、企業交流や共同研究の停滞が報告された。
これらの現象は、慰安婦問題を象徴とする「歴史外交」が、実体経済に波及した稀有な例といえる。


7.構造分析:記憶外交としての慰安婦問題

韓国が展開した慰安婦像設置や国際アピール活動は、「記憶外交(memory diplomacy)」の一形態とされる。記憶外交とは、国家が過去の出来事や歴史的記憶を外交資源として活用し、自国の道徳的正当性を国際社会に訴える戦略である。
韓国では、慰安婦問題が「女性の人権」「戦時性暴力の告発」として国際的支持を得た一方で、国内的には政治動員やナショナル・アイデンティティの形成装置としても機能した。

一方の日本は、法的枠組みと外交合意を重視し、「感情的外交」ではなく「制度的合意の履行」を原則とした。この立場の違いが、問題解決の妨げとなった。特に、韓国における「道徳的正義」と日本側の「法的最終解決」が平行線をたどり続けたことで、両国関係はしばしば感情的対立へと発展した。


8.日本の対応と国際的戦略の転換

日本政府は2010年代後半から、慰安婦問題に関する国際的誤解を是正するための情報発信を強化した。外務省は英語・韓国語・フランス語など多言語による資料を公表し、国連人権機関やユネスコにおいて日本政府の立場を説明。特に、韓国の団体が提出した「慰安婦関連資料のユネスコ記憶遺産登録」に対しては、外交ルートで異議を申し立て、対話プロセスを要求した。

また、政府は「未来志向の日韓関係」を掲げ、経済協力・安全保障・文化交流を分離して進める「戦略的二元外交」を採用した。2023年以降、尹錫悦政権下で日韓首脳会談が再開され、関係改善の兆しが見え始めている。しかし、慰安婦像の撤去や合意履行など根幹問題は未解決であり、国民感情の隔たりは依然として深い。


9.国際社会における歴史問題の再定義

慰安婦問題をめぐる論争は、「戦時下の女性の人権問題」と「戦後外交の法的処理」の二重構造を持つ。国際的には前者が強調される傾向にあり、韓国のアプローチは国連人権理事会などで一定の支持を得た。しかし、外交的現実としては、国家間合意の尊重と履行が国際秩序の基本原則である。

日本政府が強調する「法的最終解決」と、韓国が掲げる「倫理的再審」の溝は、国際法の範疇を超えた政治的・感情的問題となっている。両国の対立は、単に過去をめぐるものではなく、「歴史の語り方」をめぐる現代的な価値観の衝突として位置づけることができる。


10.結語:対立の記録と未来への課題

慰安婦問題をめぐる日韓関係の経緯は、記憶を外交の道具とした国家間関係の難しさを象徴している。韓国が歴史的被害の象徴を国際的に発信したこと、日本が法と合意を基軸に抗議・再発信を続けたこと――その双方が、国際社会のなかで新しい外交的現実を生み出した。

重要なのは、どちらか一方の責任を糾弾することではなく、「なぜ合意が持続しなかったのか」「なぜ記憶が対立の道具化されたのか」を分析的に理解することである。
慰安婦問題は、東アジアの歴史外交を再考するための教訓であり、今後の世代が「記憶と和解」を両立させるための知的資産として記録されるべき事例である。