近年、「平成ブーム」と呼ばれる現象が広がっています。平成に流行したファッションや音楽、テレビ番組、ゲーム、雑貨、食べ物などが「平成レトロ」として再評価され、当時を知らない若い世代までがその文化を楽しんでいます。

しかし、平成初期の文化を単純に「懐かしい時代」として振り返るだけでは、なぜあの時代にあのような文化が生まれたのかを理解することはできません。

平成初期は、実は日本社会の構造が大きく変わった時代でした。

1989年1月、昭和天皇の崩御によって昭和が終わり、「平成」が始まりました。同じ年の4月には消費税3%が導入され、国内ではリクルート事件をめぐって政治不信が広がりました。一方、国際社会ではベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終わりへ向かい始めました。平成元年は、国内外で「一つの時代が終わり、新しい時代が始まる」年だったのです。

そして、そのとき日本は、史上空前ともいえる経済的な高揚の中にいました。

バブルの頂点で始まった「平成」

現在の私たちが「平成初期」と聞いて思い浮かべる文化には、バブル経済の残像が強く残っています。

高級ブランド、海外旅行、高級レストラン、ディスコ、ワンレン・ボディコン、ティラミス、トレンディドラマ、そして「アッシー君」「メッシー君」といった言葉。

1989年末には日経平均株価が3万8915円という史上最高値をつけました。土地価格も異常な上昇を続けており、企業も個人も「資産は持っていれば値上がりする」という土地神話、株式神話に包まれていました。日本銀行の資料からも、平成元年当時、地価が急激に上昇していたことが確認できます。

ところが、この華やかな時代は平成の始まりとほぼ同時に終わり始めます。

1990年から株価と地価が下落し、1991年にはバブル崩壊が明確になりました。その後、日本経済は長期的な低迷へ向かいます。内閣府も、バブルの発生と崩壊、その後のデフレに至る時期を、日本経済が大きな「地殻変動」を経験した時代と位置づけています。

ここから、平成文化の本当の特徴が生まれていきます。

「豊かになれば幸せ」という物語が揺らいだ

バブル期には、「より良いものを買う」「より高いものを持つ」「より豊かな生活をする」ことが幸福の一つの尺度になっていました。

しかし、バブル崩壊によって、その前提が崩れます。

企業は設備投資や雇用を抑制し、金融機関は不良債権問題を抱え、土地価格は下落しました。「リストラ」という言葉が日常語となり、それまで当然だと思われていた終身雇用や年功序列への信頼も徐々に揺らいでいきます。

一方で、消費そのものが消滅したわけではありません。

むしろ面白いのは、消費の意味が変わったことです。

日常品については「安くて良いもの」を求めながら、自分が好きなものにはお金を使う。高級ブランドを買う一方で、ファストフードや低価格商品も利用する。

これは、後の日本社会に定着する「価格志向と価値志向の併存」の始まりでもありました。平成期には、日常生活品の低価格化と、ブランド品や高級サービスへの選択的な支出が同時に進行したことが指摘されています。

つまり平成初期は、「豊かさを追求する社会」から「自分にとって意味のあるものを選ぶ社会」への移行期だったのです。

政治もまた「昭和」から離れ始めた

政治の世界でも大きな変化が起きました。

1989年にはリクルート事件などを背景として政治不信が高まり、参議院選挙では自民党が大きく議席を減らし、社会党が躍進しました。

さらに1993年には、自民党が分裂し、細川護熙を首班とする非自民連立政権が誕生します。

これは単なる政権交代ではありません。

1955年以降長く続いてきた「55年体制」が大きく揺らぎ、日本政治そのものが再編される契機となりました。

つまり平成初期には、

「会社に入れば安定する」

「日本経済は成長し続ける」

「自民党中心の政治が続く」

といった昭和後期までの社会的前提が、次々と揺らいでいったのです。

国際社会でも「世界のルール」が変わった

国内だけではありません。

1989年にはベルリンの壁が崩壊し、1990年に東西ドイツが統一され、1991年にはソ連が崩壊しました。

日本にとってこれは、単なる海外ニュースではありませんでした。

冷戦期、日本の経済成長は「西側陣営」の一員としての国際秩序と深く結びついていました。その前提そのものが変わったのです。

さらに1991年の湾岸戦争では、日本が巨額の資金を拠出したにもかかわらず、国際社会から「人的貢献」の不足を指摘されました。

この経験は、その後の日本における国際貢献論、安全保障論、自衛隊の海外活動をめぐる議論に大きな影響を与えます。

平成初期は、日本国内だけでなく、「日本は世界の中で何をする国なのか」という問いが突きつけられた時代でもありました。

Jリーグが象徴した「新しい日本」

1993年に開幕したJリーグは、平成初期の文化を考えるうえで非常に象徴的な出来事です。

それまで日本のスポーツ文化では、野球が圧倒的な存在感を持っていました。

そこに突然、地域を基盤とするプロサッカーが登場します。

Jリーグは単なるスポーツリーグではありませんでした。

「企業のチーム」ではなく「地域のクラブ」という発想を日本社会に広げました。

これは、企業中心・会社中心だった昭和的社会から、

「地域」「個人」「趣味」「コミュニティ」

を重視する社会への変化とも重なっています。

そして1993年には「ドーハの悲劇」も起こります。

日本代表がワールドカップ初出場を目前にして敗退したことで、サッカーは一気に国民的な物語になりました。

テレビの時代から「自分で選ぶ時代」へ

平成初期の文化を語るとき、テレビを忘れることはできません。

トレンディドラマ、バラエティ番組、音楽番組、CM、雑誌。

テレビが流行を生み、全国の人が同じ番組を見て、同じ歌を聴き、同じ言葉を使うという文化が強く存在していました。

しかし、その一方で家庭用ゲーム機、CD、レンタルビデオ、衛星放送、パソコンなどが普及し始めます。

つまり、

「みんなが同じものを見る」

という文化から、

「自分の好きなものを選んで楽しむ」

という文化への移行が始まっていました。

任天堂のゲームボーイが1989年に発売され、『魔女の宅急便』などのアニメーション映画も大きな人気を集めました。

後にインターネットやスマートフォンが登場すると、この「選択する文化」はさらに巨大化します。

平成初期は、その入口だったのです。

1995年――日本社会の「安心」が崩れた

そして平成初期を語るうえで、1995年は特別な年です。

1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。

大都市が巨大災害によって一瞬で機能を失うという現実を、日本社会は目の前に突きつけられました。

それまで「日本の都市は安全である」「行政が守ってくれる」という感覚が強かっただけに、その衝撃は極めて大きなものでした。

そして3月20日、地下鉄サリン事件が発生します。

オウム真理教による無差別テロは、宗教団体が組織的に化学兵器を使用して多数の市民を殺傷するという、戦後日本では想像されにくかった事件でした。

1995年は、

自然災害による安全神話の崩壊

人間による無差別テロによる安全神話の崩壊

が同時に起きた年だったのです。

この二つの出来事は、日本人の危機意識、防災意識、ボランティア、危機管理、宗教観、科学技術観などに大きな影響を与えました。

そして「インターネット」が登場した

ところが1995年は、社会不安だけの年ではありません。

同じ年、Windows 95が発売され、パソコンとインターネットが一般社会へ急速に入り始めました。

ここには平成初期の矛盾した姿があります。

一方では、

地震、テロ、不況、政治不信。

他方では、

インターネット、ゲーム、携帯電話、デジタル化。

つまり平成初期は、「社会の不安」が増大する一方で、「個人が新しい世界へ接続する技術」も急速に発達した時代だったのです。

この二つは無関係ではありません。

既存の社会や組織への信頼が揺らぐ一方で、個人が情報を得て、個人同士がつながる新しいネットワークが生まれていったからです。

平成初期の文化は「明るさ」と「不安」の同居だった

だから、現在の「平成レトロ」を見るとき、単純に「あの頃は明るかった」と考えると、本質を見失います。

平成初期には確かに明るい文化がありました。

テレビは華やかで、音楽は大きな市場を形成し、ゲームは急速に進化し、ファッションは多様化しました。

しかし、その裏側には、

バブル崩壊
就職不安
政治不信
冷戦終結
阪神・淡路大震災
オウム真理教事件
国際社会における日本の役割への問い
情報化社会の到来

という大きな変化がありました。

つまり平成初期の文化とは、

「明るい未来を信じる昭和的感覚」と、「未来はどうなるかわからないという平成的感覚」が交差した文化

だったのではないでしょうか。

「平成ブーム」は何を懐かしんでいるのか

だから現在の平成ブームを考えるとき、単なる商品やファッションの復刻現象として捉えるのは少しもったいない気がします。

若い世代が懐かしんでいるのは、必ずしも自分たちが経験した平成ではありません。

むしろ、

テレビがまだ社会をつないでいたこと。

携帯電話やインターネットが「未来の道具」だったこと。

まだスマートフォンがなく、人間関係に現在ほどデジタル技術が入り込んでいなかったこと。

経済成長の物語が完全には消えていなかったこと。

そして、社会が現在ほど細かく分断されていなかったように感じられること。

そうした「過去の社会の手触り」を懐かしんでいるのかもしれません。

平成初期とは、昭和の終わりではありませんでした。

それは、

昭和的な価値観が崩れ、現在につながる社会が生まれ始めた時代

だったのです。

そして、その変化を象徴するのが、バブル崩壊、政治改革、Jリーグ、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、ゲーム、携帯電話、インターネットでした。

「平成レトロ」を本当に理解するためには、流行した商品だけを見るのではなく、その商品が生まれた社会を見る必要があります。

平成初期の文化は、華やかだったから記憶に残っているのではありません。

古い社会が崩れ、新しい社会がまだ形を持っていなかった。

その不安定な境界に、あの時代独特の明るさと軽さと熱狂が生まれたのです。

そして、その後の日本社会は、この平成初期に生まれた「不安」と「個人化」と「情報化」をさらに深く経験していくことになります。

平成ブームとは、もしかすると平成という時代そのものを懐かしんでいるのではなく、「まだ現在が現在になっていなかった時代」への郷愁なのかもしれません。