近年、「平成ブーム」が続いています。平成の音楽、ファッション、テレビ番組、ゲーム、携帯電話、プリクラ、コンビニ商品、キャラクターなどが「平成レトロ」として再評価され、当時を知らない世代にも新鮮な文化として受け入れられています。

前回は、1989年の平成元年から1995年頃までを振り返りました。そこでは、バブル経済、政治不信、冷戦終結、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、Jリーグ、Windows 95などを取り上げました。

平成初期が「昭和的な社会の崩壊が始まった時代」だったとすれば、平成中期は、その崩壊が社会の構造として定着し始めた時代でした。

1990年代後半から2000年代前半にかけて、日本では金融危機、デフレ、就職氷河期、少子化、非正規雇用、IT革命、携帯電話の普及、介護保険制度の開始、政治改革、小泉政権など、現在の日本社会につながる多くの現象が生まれています。

つまり平成中期とは、単なる「昔の若者文化」の時代ではありません。

現在の日本社会の原型が形成された時代だったのです。

「失われた10年」は、1990年代後半からさらに深刻になった

バブル崩壊後、日本経済は長い低迷に入りました。

しかし、1990年代前半にはまだ「いずれ景気は戻る」という期待が残っていました。

その期待が決定的に崩れたのが1997年から1998年にかけてです。

1997年には消費税率が3%から5%へ引き上げられ、同じ年にアジア通貨危機が発生しました。さらに国内では、北海道拓殖銀行、山一證券などの大手金融機関が相次いで破綻します。

日本銀行の資料にも、1997年11月に北海道拓殖銀行や山一證券の破綻に際して、金融システム全体への信用不安が強まったことが記録されています。([turn1search8])

これは単なる不況ではありませんでした。

戦後日本を支えてきた、

「大企業は潰れない」
「銀行は安全である」
「一流企業に入れば人生は安泰である」

という社会的な信頼が揺らいだのです。

日本では長い間、企業と銀行と政府が互いに支え合うことで経済を安定させる仕組みが形成されていました。しかし、バブル崩壊によってその仕組みが限界に達しました。

1990年代後半は、日本人が初めて本格的に、

「会社がなくなるかもしれない」

という現実を意識した時代だったのです。

「就職氷河期」が若者の人生観を変えた

この時代を象徴する言葉が「就職氷河期」です。

バブル崩壊後、企業は新卒採用を大幅に抑制しました。

内閣府の分析によれば、就職氷河期に大学卒業者の就職率は69.7%となり、1985~2019年の平均80.1%より10ポイント以上低下しています。([turn0search5])

つまり、平成中期の若者にとって、

「大学を卒業すれば会社員になれる」

という戦後日本の標準的な人生コースが崩れたのです。

政府は現在、一般に1993年から2004年頃に学校卒業期を迎えた世代を「就職氷河期世代」と説明しています。([turn0search2]

ここから重要なのは、就職氷河期を単なる「就職が難しかった時代」と考えないことです。

新卒時の雇用機会が少なかったことは、その後の職歴、所得、結婚、住宅取得、家族形成、社会保障などにも影響しました。

つまり、

景気循環が、一つの世代の人生そのものを変えてしまった。

これが平成中期の非常に大きな社会的特徴でした。

「フリーター」という言葉が広がったのもこの時代です。

正社員になれないことを、かつては「一時的な状態」と考えることができました。しかし平成中期になると、非正規雇用が若者の働き方として定着していきます。

この変化は、その後の「格差社会」「ワーキングプア」「若者の貧困」「ひきこもり」などの問題へつながっていきました。

1990年代後半、日本社会は「会社中心社会」から少しずつ離れていった

一方で、これは必ずしも悪い変化だけではありません。

昭和の日本では、会社が生活の中心でした。

会社が仕事を提供し、所得を提供し、福利厚生を提供し、場合によっては人間関係や結婚相手まで提供する。

ところが、その会社が安定を保証してくれなくなった。

すると人々は、

「会社とは別に、自分の人生を作らなければならない」

と考えるようになります。

この変化は、ファッション、音楽、旅行、趣味、ゲーム、インターネットなどの消費文化にも影響しました。

「みんなが同じものを持つ」ことより、

「自分が好きなものを選ぶ」

ことが重要になっていきます。

平成中期の文化が、それ以前よりも細分化されているのは偶然ではありません。

社会そのものが「みんなで同じ方向へ進む社会」から、「それぞれが違う生き方を選ぶ社会」へ移行していたからです。

「ギャル」「プリクラ」「携帯電話」は個人化の象徴だった

平成中期の若者文化を語るとき、「ギャル文化」やプリクラ、携帯電話は非常に重要です。

これらは単なる流行ではありません。

特に携帯電話は、人間関係そのものを変えました。

固定電話の時代には、「誰かの家に電話する」という行為でした。

携帯電話になると、

「本人に直接連絡する」

ことが可能になります。

さらにメールが普及すると、

「いつでも、どこでも、個人と個人が直接つながる」

ことが可能になりました。

これは社会史的に見れば、非常に大きな変化です。

それまでの日本社会では、家族、学校、会社、地域といった「中間集団」が人間関係を媒介していました。

携帯電話は、その媒介を弱めました。

「会社の人間関係」より「友人との関係」。

「学校全体」より「仲間」。

「地域」より「自分が選んだコミュニティ」。

そうした方向へ社会が変化していきます。

そして「ネット社会」が始まった

1990年代後半から2000年代にかけて、日本ではインターネットが急速に普及しました。

最初はパソコンを使う一部の人々のものでしたが、やがて一般家庭へ広がります。

ホームページ、電子掲示板、チャット、メール、ネット通販、オンラインオークションなどが登場し、情報の流れが大きく変わりました。

2007年の総務省統計でも、インターネット利用可能機器を保有する世帯は62.1%に達しており、携帯電話・PHSも広く普及していました。([turn1search12])

現在のSNS社会は突然登場したわけではありません。

その原型は、平成中期の「個人ホームページ」「掲示板」「ブログ」「携帯メール」などの文化の中にあります。

つまり平成中期とは、

マスメディア中心の社会から、ネットワーク型社会へ移行する途中の時代

だったのです。

2000年――介護保険制度が始まった

平成中期を考えるうえで、介護の世界から見逃せない出来事があります。

2000年4月、介護保険制度が始まりました。

介護保険法は1997年に成立し、2000年に施行されています。制度開始から4年あまりで要介護認定者は約81%増加し、居宅サービスの利用者も大幅に増加しました。([turn1search6]

これは単なる社会保障制度の変更ではありません。

日本社会における「介護」という概念そのものを変えました。

それまで介護は、

家族が担うもの

という意識が非常に強かった。

しかし介護保険制度は、

介護を社会全体で支える

という考え方を制度として導入しました。

この意味で平成中期は、

「家族中心の福祉」から「社会化されたケア」への転換期

でもありました。

現在の介護産業、在宅介護、訪問介護、デイサービス、ケアマネジメントなどの基盤は、この時代に形成されています。

少子化と高齢化が「未来の問題」ではなくなった

平成中期には、人口構造の変化も急速に進みました。

厚生労働省の整理によれば、1994年には高齢化率が14%を超え、2005年には出生数の減少とともに人口減少社会へ突入しました。([turn0search33]

つまり日本人は、この時代に初めて、

「日本は人口が増え続ける国ではない」

という現実に直面します。

これは経済政策にも社会保障にも影響しました。

それまでの日本では、

人口増加
労働力増加
消費市場拡大
経済成長

という循環が当然視されていました。

しかし、それが成立しなくなった。

日本は「成長する社会」から、

人口が減少し、高齢化する社会

へと移行し始めたのです。

政治では「改革」がキーワードになった

経済の停滞とともに、政治にも大きな変化が起こりました。

1990年代には細川政権、羽田政権、村山政権など、短期間に政権が変化し、1994年には政治改革によって選挙制度も大きく変わりました。

しかし、政治不安は簡単には収まりませんでした。

そして2001年、小泉純一郎政権が成立します。

「改革なくして成長なし」。

この言葉に象徴される小泉改革は、平成中期の政治を理解するうえで欠かせません。

2001年には経済財政諮問会議が設置され、いわゆる「骨太の方針」が策定されました。([turn1search0]

不良債権処理、規制改革、郵政民営化、財政再建など、「構造改革」が政治の中心的なテーマとなります。

小泉政権は2001年から2006年まで続き、2002年初めから日本経済は景気回復局面に入りました。内閣府によれば、この回復は政府支出への依存を強めることなく3年半にわたって続き、不良債権比率も2004年度末には3%を下回りました。([turn1search5]

ただし、この「回復」がすべての人に同じように届いたわけではありません。

「改革」は希望であると同時に、不安でもあった

ここに平成中期の大きな矛盾があります。

小泉改革は、

「古い日本を変えよう」

という強いメッセージを持っていました。

規制を撤廃し、競争を導入し、民間活力を引き出す。

それは閉塞感のあった日本社会にとって魅力的でした。

一方で、

「自己責任」

という言葉も社会に広がりました。

かつての日本では、会社や地域や家族が個人を守る役割を担っていました。

しかし、その仕組みが弱くなるほど、

「自分の人生は自分で決める」

という自由が増える一方、

「失敗しても自分で責任を取らなければならない」

という厳しさも増していきます。

平成中期は、

自由化と不安定化が同時に進んだ時代

だったのです。

「世界に開かれた日本」も大きく変わった

2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが発生しました。

冷戦終結後の世界は、平和で安定した世界になると期待されていました。

しかし、9・11によって国際社会は再び大きな不安定性を経験します。

日本ではその後、テロ対策、国際協力、自衛隊の海外活動、安全保障などをめぐる議論が進みました。

同時に中国の経済成長が目立つようになり、日本企業の生産拠点の海外移転も進みます。

日本経済は国内市場だけを見ていればよい時代ではなくなっていました。

「グローバル化」という言葉が、企業だけでなく一般の人々にも身近なものになったのです。

平成中期の文化を象徴する「ゲーム」と「キャラクター」

こうした社会不安の中で、若者文化はむしろ活発でした。

ゲームでは、PlayStation、ゲームボーイ、Nintendo 64などが市場を拡大し、『ポケットモンスター』のようなコンテンツが世界的な文化へ成長していきます。

アニメ、漫画、ゲーム、キャラクター商品は、単なる子ども向け娯楽から巨大な産業へと成長しました。

ここには日本経済の重要な変化があります。

鉄鋼、自動車、家電などの「モノづくり」だけでなく、

キャラクター、コンテンツ、ゲーム、アニメ、音楽、ファッション

といった「意味を売る産業」が存在感を高めていったのです。

現在「コンテンツ産業」「クールジャパン」と呼ばれているものの文化的基盤も、この時代に形成されました。

「みんなで豊かになる」から「自分の世界を楽しむ」へ

平成中期の文化を一言で表すなら、

大きな物語の衰退と、小さな楽しみの拡大

だったのかもしれません。

昭和には、

日本は成長する
会社も成長する
給料も上がる
家も買える
子どもも増える

という大きな人生モデルがありました。

しかし平成中期には、その物語が信じにくくなります。

そこで人々は、

好きな音楽を聴く。
好きなゲームをする。
好きな服を着る。
友人と携帯メールをする。
プリクラを撮る。
インターネットで知らない人と交流する。

という「自分の世界」を作るようになります。

これは消費社会の衰退ではありません。

消費社会の個人化です。

平成中期とは「現在の日本が生まれた時代」だった

こうして振り返ると、平成中期に起こったことは驚くほど現在につながっています。

就職氷河期は、現在の世代間格差や非正規雇用問題につながりました。

金融危機は、日本企業の経営構造や金融制度を変えました。

IT革命は、現在のデジタル社会の基盤を作りました。

携帯電話は、現在のSNS社会につながりました。

介護保険制度は、現在の介護産業とケア社会の基盤になりました。

少子化と高齢化は、現在の人口減少問題につながりました。

小泉改革は、その後の日本の政治・経済政策に大きな影響を残しました。

そして、ゲーム、アニメ、ファッション、キャラクター文化は、日本の新しい文化輸出産業になりました。

つまり平成中期は、単に「失われた10年」ではありません。

確かに経済的には厳しい時代でした。

しかし社会の側から見ると、

古い日本社会が解体され、新しい日本社会が形成された10年

でもあったのです。

そして、現在「平成レトロ」と呼ばれている文化の多くは、その社会変化の中から生まれました。

華やかなギャル文化も、携帯電話も、プリクラも、ゲームも、ネット文化も、コンビニ文化も、介護保険も、就職氷河期も、すべて別々の出来事ではありません。

その背後には、

「会社や国家が人生を決めてくれる社会」から、「自分で選択しなければならない社会」への移行

という、大きな歴史的変化がありました。

だから平成中期の文化には、独特の明るさがあります。

社会の未来には確信が持てない。

経済も成長しない。

政治も不安定。

しかし、その一方で、

「自分の好きなものは、自分で選んでいい」

という自由が広がっていった。

平成中期とは、不安と自由が同時に拡大した時代だったのです。

そして2000年代半ば、日本経済はようやく長い停滞から抜け出し始めます。

携帯電話はさらに進化し、インターネットは一般化し、ブログやSNSが登場し、デジタル社会が本格化していきます。

その先には、2008年のリーマン・ショック、民主党政権、東日本大震災、スマートフォン、SNS、そして現在のAI社会が待っていました。

その意味で平成中期は、平成という30年間の「真ん中」だっただけではありません。

昭和の日本から現在の日本へ向かう、巨大な社会変革の核心部分だった。

現在の「平成ブーム」を本当に理解するためには、懐かしい商品や音楽だけを見るのではなく、その文化を生み出したこの大きな社会変化を見る必要があるのです。