「平成ブーム」とは何なのでしょうか?平成に流行した音楽、ファッション、ゲーム、テレビ番組、携帯電話、プリクラ、コンビニ商品、キャラクターなどが「平成レトロ」として再評価され、平成を知らない若い世代にも新鮮な文化として受け入れられています。

しかし、平成文化を本当に理解するには、懐かしい商品や流行だけを振り返るのでは十分ではありません。

平成という時代に何が起き、日本人の生活や価値観がどのように変化したのか。その変化の先に、なぜ現在の「令和」があるのか。

今回は、2000年代半ばから2019年までを「平成晩期」として振り返ります。

この時代は、平成中期に形成された「個人化」「情報化」「グローバル化」が一気に進み、同時に、人口減少、高齢化、格差、災害、政治不信など、平成が解決できなかった問題が一気に表面化した時代でした。

そして2019年、平成は終わります。

しかし、平成が終わったからといって社会がリセットされたわけではありません。

むしろ、平成晩期に形成された社会が、そのまま令和へ持ち越されたのです。

「改革の時代」の後にやってきた世界金融危機

2006年に小泉純一郎政権が終わり、安倍晋三政権が発足しました。

しかし、その後の日本政治は安定しません。

安倍政権、福田政権、麻生政権と短期間で政権が交代し、2009年には民主党が総選挙で大勝し、鳩山由紀夫政権が誕生します。

「政権交代」が実現したことは、戦後政治史の大きな出来事でした。

ところが、その直後、日本を待っていたのが世界金融危機でした。

2008年9月、アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻を契機として、世界的な金融危機が発生します。

日本経済も大きな打撃を受けました。

内閣府によれば、2009年春頃を底に景気は持ち直し始めたものの、デフレと厳しい財政状況を抱えたままであり、家計への波及も弱い状態でした。

輸出依存度の高い製造業は大きな影響を受け、「派遣切り」という言葉が社会問題になります。

ここで平成中期に形成された問題が、再び浮かび上がります。

就職氷河期によって不安定な雇用に入った若者たち。

非正規雇用に依存する企業。

海外生産を拡大する日本企業。

そして国内需要の弱さ。

リーマン・ショックは、単なる一時的な景気後退ではありませんでした。

「日本の企業が世界で稼げば、日本人の生活も豊かになる」という戦後型の経済循環が、すでに機能しにくくなっていることを露呈した事件だったのです。

「政権交代」がもたらしたもの

2009年の民主党政権は、「コンクリートから人へ」という理念を掲げ、行政改革や社会保障、子育て支援などの政策を進めようとしました。

しかし、財源問題、政策決定の混乱、普天間基地問題などによって政権運営は難航します。

さらに2011年、民主党政権の時代に日本を襲ったのが東日本大震災でした。

2011年3月11日。

巨大地震、津波、そして福島第一原子力発電所事故。

東日本大震災は、人的・物的被害だけでなく、サプライチェーンを寸断し、企業活動や地域経済にも大きな影響を与えました。内閣府は、震災が人々の人生観や価値観そのものを揺さぶるほどの出来事だったとしています。

これは1995年の阪神・淡路大震災とは異なる意味で、日本社会を変えました。

1995年が、

「都市は本当に安全なのか」

を問い直した災害だったとすれば、2011年は、

「日本の社会システムそのものは、本当に安全なのか」

を問い直す災害でした。

行政。

電力。

原子力。

企業。

マスメディア。

専門家。

そして政治。

社会を支えているはずのシステムに対する信頼が、大きく揺らいだのです。

「絆」が生まれた一方、「システムへの不信」も広がった

東日本大震災後、「絆」という言葉が社会を象徴しました。

全国から被災地へボランティアが向かい、多くの人が寄付を行い、地域コミュニティの重要性が再認識されました。

一方で、原発事故への対応をめぐっては、政府、東京電力、専門家、メディアなどへの不信も広がりました。

つまり2011年は、

人と人とのつながりの重要性

と、

大きな組織や制度への不信

が同時に強まった年でした。

これは平成後半の社会を理解するうえで重要なポイントです。

「国家に任せる」「会社に任せる」「専門家に任せる」という姿勢から、

自分で考える、自分で選ぶ、自分でつながる

という方向へ社会がさらに動いていったのです。

スマートフォンが「社会そのもの」を変えた

そして、この変化を決定的にしたのがスマートフォンでした。

2007年にiPhoneが登場し、2008年にはApp Storeが開始され、日本でも2010年代にスマートフォンが急速に普及します。

携帯電話は、単なる通信機器ではなくなりました。

電話。

メール。

カメラ。

音楽。

地図。

買い物。

ゲーム。

ニュース。

SNS。

銀行。

交通。

これらが一台に統合されました。

平成中期の携帯電話が「人と人を直接つなぐ道具」だったとすれば、平成晩期のスマートフォンは、

人間と社会そのものを常時接続する装置

になったのです。

SNSも急速に普及しました。

Twitter、Facebook、LINE、Instagramなどが生活に入り込み、「情報を受け取る人」と「情報を発信する人」の境界が薄くなりました。

テレビや新聞が社会の情報を一方向に伝える時代から、

誰もが情報を発信し、共有し、評価し、拡散する社会

へ変わったのです。

これは令和社会の重要な前提となります。

「平成レトロ」の多くは、このデジタル革命の直前にある

現在、平成文化として懐かしまれているものの中には、まさにこの過渡期の特徴があります。

ガラケー。

写メール。

着うた。

mixi。

ブログ。

プリクラ。

デコメール。

CD。

レンタルビデオ。

テレビ番組。

こうした文化には、

アナログとデジタルが同居していた

という特徴があります。

平成晩期は、完全なデジタル社会ではありませんでした。

しかし、デジタル社会への移行はすでに止められないものになっていました。

そのため平成晩期の文化には、「人間がまだデジタル技術を使いこなそうとしていた」という感覚があります。

令和になると、逆になります。

スマートフォンやSNSが「特別な技術」ではなく、生活の前提になります。

この違いは大きいのです。

アベノミクスが「経済をもう一度成長させる」と訴えた

2012年末、民主党政権から自民党・公明党政権へ戻り、安倍晋三政権が発足します。

ここから「アベノミクス」が始まりました。

大胆な金融政策。

機動的な財政政策。

成長戦略。

いわゆる「三本の矢」です。

日本経済は2012年11月を景気の谷として回復局面に入り、内閣府によれば2013年には実質GDPがリーマン・ショック前の水準を回復しました。

2012年以降の景気回復は比較的長く続き、2018年度まで4年連続のプラス成長となりました。雇用情勢も改善し、人手不足が深刻化していきます。([turn0search0]turn0search0

ここには平成晩期の大きな転換があります。

平成中期までの日本は、

「どうすれば不況から抜け出せるのか」

を考えていました。

平成晩期には、

「人が足りない社会で、どう経済を維持するのか」

という問題に変わっていきます。

これは令和の最大の問題の一つへとつながります。

「人口減少」が経済問題になった

少子高齢化は平成中期から始まっていました。

しかし平成晩期になると、それが企業経営や地域社会の問題として明確に現れ始めます。

労働力不足。

介護人材不足。

建設人材不足。

地方の人口減少。

空き家。

学校の統廃合。

公共交通の維持困難。

つまり人口減少が、

「将来の問題」

ではなく、

「現在の経済活動を維持できるか」という問題

になったのです。

内閣府も2017年時点で、少子高齢化・人口減少の中で人手不足を克服し、持続的成長につなげることが重要な課題だと指摘しています。([turn0search14]turn0search14

ここから「働き方改革」「女性活躍」「高齢者雇用」「外国人材」「AI・ロボットによる省力化」などが政策課題として前面に出てきます。

この議論は、そのまま令和へ持ち越されました。

「働き方改革」が意味したもの

平成晩期には、「働き方改革」という言葉が広く使われるようになりました。

長時間労働。

過労死。

非正規雇用。

女性の就業。

育児と仕事の両立。

高齢者の就労。

テレワーク。

こうした問題が一つの政策テーマとして統合されていきます。

これは、平成中期に形成された「会社中心社会」の修正でもありました。

昭和型の働き方は、

「会社に長時間尽くす」

ことを前提としていました。

平成晩期になると、

「仕事だけが人生ではない」

という価値観が強くなります。

この価値観は、令和の「ワーク・ライフ・バランス」「副業」「柔軟な働き方」「リモートワーク」へと接続していきます。

「モノ」より「体験」が重視されるようになった

平成晩期の消費文化も変化しました。

大量の商品を所有することより、

旅行する。

写真を撮る。

食べ歩く。

イベントに参加する。

好きなアーティストを応援する。

SNSで共有する。

という「体験」が重視されるようになります。

「モノを持つ」から「経験を共有する」へ。

これはスマートフォンとSNSの普及によってさらに加速しました。

そして、「推し」という言葉に象徴されるような、個人が特定の人物・作品・キャラクターを継続的に応援する文化も大きく発展します。

ここには平成中期から続いてきた「個人化」があります。

しかし令和になると、そこにSNSによる「コミュニティ化」が加わります。

つまり、

個人化 → ネットワーク化

という変化が起こったのです。

平成晩期には「災害の時代」という側面もあった

東日本大震災以降も、日本では熊本地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震など、大規模災害が相次ぎました。

これによって、防災、減災、地域コミュニティ、BCP、サプライチェーンなどの考え方が社会に定着していきます。

企業も、

「工場が止まる」

だけではなく、

「部品が届かない」
「物流が止まる」
「電力が止まる」
「通信が止まる」

という「システム全体のリスク」を考えるようになります。

これはシステム科学的な社会認識の広がりでもあります。

社会は個々の企業や施設の集合ではなく、

相互に依存するネットワーク

として理解されるようになったのです。

そして2019年、平成が終わった

2019年4月30日、平成天皇の退位に伴い平成が終わり、5月1日から令和が始まりました。

「平成最後」という言葉が社会を覆いました。

平成最後の紅白。

平成最後の旅行。

平成最後の卒業。

平成最後の年越し。

そして、新しい元号「令和」が発表されました。

しかし、ここで重要なのは、

令和は平成と断絶して始まったわけではない

ということです。

むしろ令和は、平成晩期までに形成された社会の上に始まりました。

人口減少。

高齢化。

人手不足。

社会保障問題。

非正規雇用。

格差。

デジタル化。

SNS。

災害リスク。

地方衰退。

少子化。

これらは平成が終わった瞬間に消えませんでした。

令和は「平成の問題を引き継いだ時代」である

だから、令和を理解するためには平成晩期を見る必要があります。

令和になってから、

DX。

AI。

リモートワーク。

人手不足。

外国人材。

介護人材不足。

少子化対策。

地方創生。

GX。

などが重要な政策課題になりました。

しかし、その多くは突然生まれた問題ではありません。

平成晩期にすでに、

「日本社会をこれまでの方法では維持できない」

という兆候が現れていました。

令和は、それを本格的に解決しなければならない時代になったのです。

新型コロナが「平成型社会」の最後の弱点を露呈させた

そして令和を考えるうえで忘れてはいけないのが、2020年の新型コロナウイルス感染症です。

これは令和の出来事ですが、その影響を受けた社会は平成晩期に作られていました。

対面中心の仕事。

都市への人口集中。

学校教育。

医療体制。

介護施設。

物流。

サプライチェーン。

観光産業。

そして行政のデジタル化。

コロナ禍は、それらの弱点を一気に露呈させました。

一方で、オンライン会議、電子決済、ネット通販、テレワークなどのデジタル化を一気に進めました。

その意味では、コロナは「令和の事件」であると同時に、

平成から令和への社会転換を強制的に加速した事件

だったと見ることができます。

「平成ブーム」の正体とは何なのか

ここまで平成晩期を振り返ると、現在の「平成ブーム」が少し違って見えてきます。

懐かしいのは、単にガラケーやプリクラや音楽だけではありません。

そこには、

スマートフォンがまだ生活を支配していなかった。

SNSが現在ほど巨大ではなかった。

テレビがまだ大きな影響力を持っていた。

インターネットが「新しい世界」だった。

日本経済にはまだ「再生できる」という期待があった。

人口減少がまだ現在ほど切迫していなかった。

という時代の記憶があります。

つまり「平成レトロ」とは、

デジタル社会が完成する直前の社会への郷愁

でもあるのです。

平成とは「成長社会」から「成熟・縮小社会」への移行だった

昭和後期には、

人口が増える。

経済が成長する。

企業が大きくなる。

所得が増える。

家を買う。

子どもを持つ。

という人生モデルがありました。

平成は、そのモデルが崩れていく時代でした。

平成初期にはバブルが崩壊しました。

平成中期には就職氷河期、金融危機、少子化、非正規雇用が広がりました。

平成晩期には、人口減少、人手不足、災害、デジタル化、働き方改革が社会の中心課題になりました。

つまり平成30年間は、

「成長する日本」から「成長しなくても社会を維持しなければならない日本」への移行期間

だったのです。

そして令和は、その次の段階です。

「人口が増えないこと」を前提として社会を設計する。

「人が足りないこと」を前提として産業を設計する。

「高齢者が増えること」を前提としてケアを設計する。

「デジタル化すること」を前提として行政や教育を設計する。

「気候変動や災害」を前提として地域や産業を設計する。

こうした課題が、令和の日本に突きつけられています。

平成の最後に残されたもの

平成晩期を振り返ると、一つの大きな歴史的変化が見えてきます。

昭和は、

「みんなで豊かになる時代」

でした。

平成は、

「豊かさの前提が崩れ、自分の人生を自分で選ぶ時代」

でした。

そして令和は、

「限られた資源と人口の中で、どのような社会を再設計するのかを問われる時代」

になったのではないでしょうか。

平成ブームが面白いのは、そこに「懐かしさ」だけではなく、日本社会が失ったものと、これから再構築しなければならないものが映っているからです。

平成には、確かに失われたものがあります。

しかし同時に、平成には現在につながる新しいものも生まれました。

インターネット。

スマートフォン。

SNS。

コンテンツ産業。

介護保険。

地域包括ケア。

働き方改革。

防災・減災。

新しいコミュニティ。

そして「自分らしく生きる」という価値観。

平成は、昭和の後に来た時代ではありませんでした。

昭和という社会モデルを解体し、令和という新しい社会モデルを準備した30年間だったのです。

だから平成を懐かしむことは、単なる過去への回帰ではありません。

むしろ、

「私たちは、どこから来て、どこへ向かっているのか」

を考えるための手がかりなのです。

そして令和の課題は、平成が残した問題をただ引き継ぐことではありません。

人口が減る。

高齢化する。

人が足りない。

デジタル化する。

地域が縮小する。

こうした条件の中でも、人間らしく生きられる社会をどう作るのか。

そこに、令和という時代の本当の課題があります。

平成の終わりは、一つの時代の終わりでした。

しかし同時に、

「これまでの日本社会を、そのまま維持することはできない」という事実が明確になった瞬間

でもありました。

令和とは、その事実を前提として日本社会を再設計する時代なのです。